打合せの中止、集中と選択


無錫方面に出張する予定であった。
が、顧客日本サイドから物言いがあり急遽取り止めとなった。
問題点については2ヶ月前より分かっていた事だったのだが、まさかここまで後手るとは思っても見なかった訳だが、量産工場(ウチの会社)での試作評価をしてこなかったツケが回ってきた感じだ。
流石に金型工場に成形品を仕上げていくというハンドリングはしんどいだろう。
そう言う訳で、いつも皺寄せが来るのは成形工場。
特に、金型工場が親会社であるウチの場合は、金型屋さんばかりなので、成形屋さんの事を理解した方々はかなり少数となってしまうので、、、つらい。
一生懸命考えてくれる人もいれば、、、話にならない方も多々いらっしゃる。
取締役をはじめそういう人達ばかりなので、、、困ったものだ。
ハッキリ言えば、金型で飯を食っていくのか、成形で食っていくのか?はたまたその他の分野で食っていくのかの選択が出来ていないのだと思う。
これでは、、、成形屋さんを経験したメンバーが本部に戻り要職についてやっとうまく行く動きになってくるのではないかと思われる。
さて、選択が出来ていないのでは?と書いたが、『集中と選択』という言葉の意味、重要さを時折感じる事がある。
どうしても奴隷根性があるようで、客から言われると右へ倣え、すぐやるような部分があり、将来を見据えた動きになっていない事が多々ある。
それを顧客満足、サービスと勘違いしているのではないか?と思う事がある。
ここの部分相当抵抗している自分がいるのだが、客からとやかく言われる筋合いは無いと言うのが私の持論だ。
とやかく言われその度に考える事が出来なくなってしまっていたり、いきなり忙しくなりすぎてキャパオーバーをしてしまうような状況が多々あるように思うからだ。
それよりも、客が何を望んでいるのか?どうすれば喜んでいただけるのか?コストなのか?スピードなのか?品質なのか?
こういった点を毎日考えながら仕事が出来る体制こそ素晴らしいと思うのだが、いつも言いなりになって、最後は強姦されてしまうような状況に陥っている。
あまり言う事を聞かないので、使えない奴との意見や、評価は下がってしまうのではないかとは思うが、私が折れたら部下は強姦どころの騒ぎではなくなってしまい、何のために仕事をしているのか?どうすべきなのか?何が正しく、何をやって悪いか?という部分を学ぶのに弊害が出ると考えるから、抵抗してしまう。
結構外弁慶的な考えでもってやっているのだが、伝わらないだろうなぁ〜?
伝わるか伝わらないかは別として、結果で判断しなければならないが、それは、長期的に見ないと答えは出ないだろう。
ただ、『だから昔から言っていたろう?』っていう台詞をたまに言うことがあるので、間違っているとは思えない部分があり、この後もそうしていくのではないかと思う。
まぁ、年を重ねるともしかしたら考え方も変わって、バカだったなぁ〜あの頃 なんて事もあるかも知れないが。。。